3)“幸せの青い鳥”  by marymint

Sister Kazuko Watanabe

半世紀を超えて、人生を振り返ってみると・・・

随分、長い事、幸せの青い鳥を探し続けていたのだなぁ・・・と思います。

『探している内は、手に入らない』と気付いた時期がありました。

つまり、

探していると言う事自体、

今をしっかりと観ていないのではないか・・・と。

探すと言う事は、

無いから探すんでしょ?

常に、今でないどこかに、

心を持って行かれている状態ではないか・・・と思ったのでした。

では、

今の私は、どうなの?

そうか・・・

いつも、そうやって、今を観ず、

未来に思いを向けていたのでは?

私がそう考えるようになった時に

マザー・テレサの言葉に出逢いました。

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  『大切なことは、遠くにある人や、大きなことではなく、

   目の前にある人に対して、愛を持って接することです』

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私は、常に今、自分が関わっている人や物に “こころ” を込めて接していたかしら・・・?

いつも、今は、自分にとってスタート地点で、何かいいことは、先にあるのではないか・・・と。

幸せの青い鳥は、今ではなく、

どこか遠く先の方にあるのだと思って、未来ばかり見て・・・大切な今を忘れていたのではないか・・・と、思うようになったのです。

そして、もう一つ、私に強烈な“気づき”の言葉を下さったのは、シスター渡辺和子でした。

偶然にも、『徹子の部屋』を見た時に、シスター渡辺和子が出ていらっしゃいました。

そして、本が出版されている事を知り、すぐ、本屋さんに買いに行きました。

その本のタイトルは、

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置かれた場所で咲きなさい

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私には、この言葉は、マザー・テレサの言葉とダブりました。

遠くのことに思いを馳せて、

今という時を台無しにしてしまわないように・・・。

そう警鐘している・・・

と、私は捉えました。

私が日常生活の中で、とても大切にしている事は、

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        大切なのは、いつも、“こころ”

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これは、このサイトの軸になっている言葉でもあります。

これが、私の生き方のベースになって来ています。

幸せの青い鳥を探している内に、私の悩みが、私の生きる道を開いてくれたのです。

そして、

シスター渡辺和子のメッセージにも出逢う事が出来ました。

長いですが・・・

まだ、出逢っていらっしゃらない方は、

どうぞ、じっくり読まれてみて下さい。

あなたにも響くものがきっとあると思います。

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    置かれた場所で咲きなさい

by シスター渡辺和子

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生きている間には「こんなはずじゃなかった」と言いたくなるようなこと、 想定外のこと、期待外れのことがたくさんあります。

そのような状態・立場に置かれた時でも明るく前向きに生きていく。

つまりそれが、
置かれたところで、
自分しか咲か
せることができない花一生懸命に咲かせることになるのだと思います。

私は女子学生達と40年以上関わってまいりました。

そして、この「置かれたところで咲きましょう」という言葉を入学してきた人達に話すと同時に、卒業していく学生達にも話すようにしています。

入学してきた人達の中には、
必ずしも私共の大学が第一志望ではなかった、不本意入学の人達もいらっしゃいます。

その人達にキリスト教の一つの生き方として「置かれたところで咲く」という言葉を贈ります。

また、卒業して社会に出ていく人達、
置かれた職場で
思ってもいなかった仕事が与えられたり

または、
結婚して
期待どおりの家庭が築けなかった

子育てにおいても
子供が思ったように育ってくれない。

つまり、
その時その時に置かれた状況、
そこで嘆いたり悲しんだりしているだけではなく「周りの人が悪い」とか、自分以外の他の人達が「こうなってくれればいいのに」

という気持ちを持つ以上に、
自分がその場で置かれたところで咲く、
前向きに生きるということ
卒業してからの生活の中で実践してほしいと思います。

私自身の生涯を考えてみましても、
数多くの
「こんなはずじゃなかった」と言いたくなることがたくさんありましたし、また、これからもあるだろうと思います。

30歳近くで、修道院に入り
一人だけアメリカに5年ほど派遣されました。

戻りますと、
思いがけず、行ったこともない岡山という土地に派遣されて、35歳でしたが、その翌年36歳の若さで4年生大学の学長に任命されました。

それまでの15年間、
この大学はアメリカ人のシスターたちが
初代・二代の学長を務め、
お二人とも70歳代の方でいらっしゃいました。

そこに初めて
日本人としての学長が、それも修道生活まだ5年、有期誓願しか持っていないシスターで、
前の方達の半分の歳にもならない、その大学の卒業生でもなければ岡山の人間でもない。

そのよそ者に対しての風当たりは結構強く、私も辛い思いをしたことがございます。

時には修道生活を考え直そうかとさえ思ったことがあります。

その時に、二人の神父様から私は助けていただきました。

お一人は、私が30歳まで7年間働いていた職場の上司でアメリカの方でしたが、その方に私の色々な不平・不満を申し上げましたところ、その方はご自分も修道士・修道者でいらっしゃいましたが、私のお話をお聞きになって、なぐさめてくださるどころか、

「あなたが変わらなければ、
 どこへ行っても、何をしても、同じだよ。」

と、ある意味すげないお言葉でした。

私はその時に振り返ってみますと、
自分が「くれない族」だったと思うのです。

こんなに若くて、知らない土地で、急に学長になって、苦労しているのに、

誰もなぐさめてくれない、

私の辛さを理解してくれない、

誉めてもくれない、

挨拶もしてくれない。

そういう「くれない族」であった私に
その神父様が、

「あなたが変わりなさい。
 人に求めるのでなくて
 自分から与える人になりなさい。」

と言う事を教えて下さったと思います。

そして、
私の方から挨拶をする人間になり、
私から人様にお礼を言い、お詫びをし、人様を誉める。

そういう人間に変わったときに
不思議と周りの方が
変わってくださいました。

もう一人の神父様は
岡山でお仕事をしていらしたベルギー人の宣教師の方でしたが、私が苦労しているのを見かねてか一つの英文詩をくださいました。

「神様がお植えになったところで咲きなさい」という詩でした。

私は「神様がお植えになったところ」というのを「置かれたところ」と変えて訳したのですが、

「置かれたところで咲きなさい。
 仕方がないと諦めるのではなく、咲くのです。

咲くというのは
自分が幸せになり
周囲の人を幸せに
することです。

咲くということ
私は幸せなんだということを
周囲に示して生きることなのです。」

という内容の詩でした。

咲くということは本当に大変なことだと思います。

しおれている方がよほど楽だと思う時がありますが、やはり、
私たちは神様が置いてくださったところそれに間違いはない。
そこで咲くのだ。

自分で置かれたところを変える時が来るかもしれない。

でも、置かれている間は、その置かれたところで咲くのだ。

ということを教えていただきました。

そして私自身が自分が置かれた岡山という地で、
置かれた学長という立場で咲く決心をいたしました

咲くということは、

自分が幸せになることであり、

他人も幸せにするということです。

戦後まもなく、
一人の男性の方が選ばれて
ヨーロッパに留学をなさいました。

その当時、留学をするということは本当に稀なことで、みんなから羨ましがられ祝福されて
ヨーロッパに行かれたのですが、
行ってみると、戦争中に語学というものもあまり行われず教科もできなかったものですから、
その方は周りの方が次々と質問をしたり、答えたりしていらっしゃる中で劣等感の塊になられました。

そして恥を忍んで
日本に帰った方がいいだろうか…と思いながらある朝、学園の庭を歩いていらした時に、ひともとの小さな花がけなげに咲いているのをご覧になりました。

その時に

「小さきは 小さく咲かん

 小さくも 小さきままに

 神を讃えて」

という境地を得て、 それからご自分の劣等感から自由になって立派に卒業して日本にお帰りになりました。

私はこの話を伺って、本当に良いお話だと思いました。

その方にしてみれば自分はタンポポでしかない。

周りを見渡すとバラ、カトレア、カーネーションのような人たち。
その中で劣等感の塊になっていらした。

でも、考えてみたら確かに
タンポポはバラになれない
けれども、
バラもタンポポになることはできない。

そこで自分は、
タンポポは、タンポポのままで
置かれたところで咲いていたらいいんだ。

ということにお気づきになりました。

時に人が
「きれいな花だ」と誉めてくださることもあれば、
くださらないこともあります。

『人 見るもよし。 人 見ざるもよし。 我は咲くなり。』

人の目の前でなく、

神の目の前で咲いていたいと思います。

一人一人が
神様が植えられたところで 精一杯に咲きなさい

咲くということは
笑顔で生きるということです

ー元ノートルダム清心学園 理事長 シスター渡辺和子ー

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いかがでしたか?

とても、こころ洗われるメッセージでは、ありませんか?

私は、このシスター渡辺和子が残して下さった大切なメッセージを次世代にも伝承して行きたいと思わずにはいられませんでした。

そして、益々、このサイトにご縁があっていらっしゃった皆様と交流をし、安心して、信頼出来る情報を発信して行こうと思いました。

by marymint

補足:シスター渡辺和子(Wikipediaより抜粋)

1927年、北海道旭川市で出生。
父親は当時、陸軍中尉将で旭川第7師団長だった渡辺錠太郎。
53歳の時の子であった。
4人兄姉の末っ子で次女。

1936年、成蹊小学校3年生で、9歳の時に二・二六事件に遭遇。
父の居間で、当時大将で教育総監だった父が、青年将校に襲撃され、43発の銃弾で命を落としたのを、わずか1mほどの距離から目の当たりにした。

成蹊小学校、雙葉高等女学校(現 雙葉中学校・高等学校)卒業。

1945年、18歳でキリスト教カトリック)の洗礼を受ける。
1951年、聖心女子大学に通いながら上智大学で文書作成のアルバイトをし、1954年、上智大学大学院西洋文化研究科修士課程修了。

1956年、29歳でナミュール・ノートルダム修道女会に入会。

アメリカへ留学し、
1962年6月にボストンカレッジ大学院で博士号(哲学)を取得したのち、同年9月にノートルダム清心女子大学教授に就任。

1963年に36歳という異例の若さで岡山県のノートルダム清心女子大学の学長に就任(1990年に退任)。

1977年にはうつ病を患う。
1984年にマザー・テレサが来日した際には通訳を務める。

2012年に発売した著書『置かれた場所で咲きなさい』が、200万部を超えるベストセラーとなった。

2016年12月20日、膵臓癌により死去。89歳没。